ここ10年、食生活に変化があったので考えを書き残しておこうと思います。
1日3食だった生活をあたりまえとして生きていたわけなのですが、朝ごはんを卒業し、昼または夜も食べなくなっていきました。
そして、次第に1日1食の生活に落ち着きました。
テレビでは大食いタレントがもてはやされて、世間的にはグルメな番組が目立っているなか、僕は少食の世界へと進んでいました。
この記事では、今後の人間の食についてのささやかな考えをまとめています。
超大食いの人もいれば、超少食(不食)の人もいる
ギャル曽根さん、もえのあずきさん、ジャイアント白田さんなど、大食いタレントがいる一方で1日1食をしている芸能人もいます。
例えば、タモリさんだったり、GACKTさんだったり、福山雅治さんだったりです。
ほかにも超大食いの芸能人、超少食の芸能人はいると思いますが、ここでは割愛します。
テレビでは超大食いの人のほうが画面を華やかに作れるため、頻繁に取り上げられがちです。
超少食の芸能人に関しては取り上げられることは稀です。
とりあえず、超大食いの芸能人がいるのだから、その逆の超少食の芸能人だっていますよね。
これからの世界は少食へと向かうはず
僕が少食に意識が向いているきっかけは、不食に関しての本です。
秋山さん、森さん、山田さんによる共著の『食べない人たち (「不食」が人を健康にする)』がきっかけです。
『食べない人たち (「不食」が人を健康にする)』を読んだのは5年以上前です。
不食(食べない)で生きていける人が存在する。
……嘘みたいですよね。
何も食べないで生きていけるわけがないじゃないか、とあなたは思うかもしれません。
僕も思いました。
人間は何かしら食べなければ生きていけないのではないか、と。
『食べない人たち (「不食」が人を健康にする)』のなかでは、不食のコツが書かれています。
不食とは慣れである、と。
慣れ、だそうです。
食べないことを我慢するのではなく、ただ体が何も食べないことに慣れる。
食べないことに、こころと体が慣れる。
この「慣れ」の感覚を理解しようとここ最近、1日りんごだけで過ごしたり、1日バナナだけで過ごしたり、超少食・微食の生活を取り入れています。
その微食生活によって、「慣れ」の感覚は少しわかったような気がします(暇になったり、メンタルがぶれると、食欲が出てきて、空腹ではないのに食べてしまうということもわかった。没頭できる何かがあれば、食欲はわいてこない)。
とりあえず、(ほぼ)食べないことに、少しずつ慣れはじめました。
何の取り柄もない、才能もない僕でも、この慣れの感覚が少しわかり始めました。
僕みたいな一般市民がこのように不食の実験をしているということは、ほかにも世界のあちこちで同じことをしている人が増えている気がします。
半日断食、1日2食というワードを頻繁に見かけるということはつまり、世界が少食へと向かっているということではないでしょうか。
これまで多くの人々は1日3食があたりまえの食生活として、疑いもなく、生きてきました。
しかしいま、この既存の価値観がゆらぎはじめているかもしれません。
超少食(不食)こそが、現代社会の唯一の辺境
お金さえ払えば地球上のどこにでも行ける時代になり、辺境と言われる場所が消滅してしまいました。
そんな現代の地球で唯一の辺境ではないかと思える場所があります。
それは不食の日常生活です。
何も食べないで生きる普通の日常。
それこそが現代社会の唯一の辺境かもしれない、と考えています。
たぶん、ほとんどの人がたどり着けない(もしくは興味すらない、たどり着きたくもない)世界かもしれませんが。
まとめ
現在、地球環境は壊滅的な打撃を受けています。
地球が100年後にもしっかり存在するための転換点は、この2020年代でしょう。
これからの時代において、重要なキーワードは不食、脱成長コミュニズムだと思います。
資本主義は限界に達しているように思います。
人類が資本主義の世界を終わらせるための1歩目が少食なのだと思います。
これらについては今後ゆっくり掘り下げてみたいです。
とりあえず、今回は「食」についてでした。
超大食いの人間がいるなら、その逆の人間、つまり、超少食・不食の人たちだっていて当然である。
僕自身はどうやら少食側の人間です。
最近では、りんごのみの日、バナナのみ日もあります。
定期的におこなっている超少食生活テストが自分の生活にどのような変化をもたらすのか、注意深く観察し、このブログで経過報告をしていきたいと思っています。